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ヴィム・ヴェンダース監督「誰のせいでもない」を鑑賞

   

映画館で見逃した作品なのですが、ようやくDVDで見れました。

大好きなヴィム・ヴェンダース監督、大好きなシャルロット・ゲンズブール!
私にとって期待を裏切らない映画でした。

心が乾いている人にうってつけの作品?

子どもが生まれる前は、しょっちゅう映画館へ行っていた私ですが、発達障がいの我が子が生まれ、ドタバタな日々となり、映画を見ることもままならず。

時間のなさもあるのだろうけれど、世間に理解されにくい子どもが生まれたことで、自分と世間との間に大きな隔たりができて、私の中のいろいろな感覚が変わってしまったのも大きな原因だと思います。

なんかこう、どんなにヒットした作品でも、楽観的な作品はなんだか受け入れられない自分がいて、ずっと以前に好きだったジャンルのものも、それほど心に響かなくなったり。

そんな現在の私の胸にストンと落ちるのが巨匠ヴィム・ヴェンダース監督の作品で、今回見た「誰のせいでもない」(原題: Every Thing Will Be Fine)は、感情が悲しげに揺れ動くような作品なのにもかかわらず、鑑賞した後に少しの元気をもたらしてくれました。

秀逸なレビューを発見!

誰のせいでもない

「誰のせいでもない」の良さがとても伝わるレビューを発見したので紹介します。

ひどく文学的な映画である。本作で一番感情移入できるのは、シャルロット・ゲンズブールである。彼女(役柄名ケイト)は、カナダ(ここが舞台の映画は、いつも閑散としてものさびしい。アメリカの田舎との違いは空間でわかる)、モントリオール郊外の山の中とも言えるような家にシングルマザーとして、依頼されたイラストなどを描いて生活している。

ほんとうは、作家であるジェームズ・フランコが主役で、彼をめぐる、3人の女の話だが、この4人は、べつに愛憎にもつれるわけでもなく、ただ、「袖擦り合うも他生の縁」的よりも、さらに、淡く交わる。

スランプ作家のフランコが雪道を車で走り、何かが突然ぶつかってきたので急ブレーキを踏む。車を停めて見に行くと、車の前に赤いプラスチックのソリに乗った5、6歳の男の子が呆然としている。男の子は、おそらくはショックで口が聞けない。見ると丘の上に家があるので、その家に送り届ける。その時、男の子の歩みが遅いので、肩車をしてやる。
母のシャルロットがドアから顔を出し、「おたくのお子さんで?」と、フランコが言うと、シャルロットは驚きの顔をし、あたりをきょろきょろ。もう一人いたのだ。
そう、弟の方が、事故で死んでいた。崖下に落ちたのだろうか? とにかく、その状態は見せず、警察がフランコを家に送っていくところしか、事故関係は見せない。当然フランコにはなんの罪もない。しかし、彼は苦しむ。

二年後、シャルロットが突然、夜中にフランコに電話をかけて呼び出す。応じて、例の事故現場でもある、彼女の家に行く。シャルロットは、「いっしょにやってほしいことがあるの」と言ったあと、「フォークナーは好き?」と聞く。「好きでも嫌いでもない。自分の作品しか興味ない」と答えるフランコ。「そう言うと思ったわ」。それから、本のページを破り、暖炉に本ごと放り投げて燃やす。「私はフォークナーに夢中になっていて、子どもたちを家に入れずに、もっと遊んでらっしゃいと言ってしまった」。つまり、罪は、シャルロットにあったと告白。

レイチェル・マクアダムスは、事故前からの恋人だが、子どもをほしがる彼女と、作家道に邁進したい(だが、スランプ)のフランコで、生き方食い違いで、結局、別れる。10年後。コンサート会場で会い、ほかの男と結婚し、子どもも2人できたマクアダムスに、言い訳じみたことを言い、往復ビンタをくらうフランコ。
結局、フランコにも編集者の恋人ができ、彼女の連れ子と同棲→結婚になり、文学賞も取り、名声を得る。
あの事故のことを小説に書いて以来、がぜん進歩したのだ。一方、シャルロットは、事故を克服できず、子どもの学費のために家を売り、旅に出たと、成長した事故の生き残りの男子に知らされるフランコ。その男子も「作家志望」で、フランコにつきまとっていた。最初にシャルロットに呼ばれて家に入った時、フランコに肩車された少年の絵が目についた。もしかして、少年は、そんなことされたのは生まれて初めてで、とてもうれしかったのではないだろうか? 弟は死んでいるというのに。しかし、子どもなんてそんなものだ。

複雑な物語であるが、ただ言えることは、「作家」という職業の胡散臭さ。そして、ほんとうは愛し合うべき男女が、ただ触れあっただけで、永久に出会うことなく人生の闇に消えてしまうことも、ある。ということ。いや、「その後」、もしかしたら、フランコは、シャルロットを探して、旅に出るかもしれない。そうしたら、ほんとうの作家になれるのにね、というオハナシと見た、私はね。

フォークナーに我を忘れる女なんて、そうそういるものではない。 Yahoo!映画

このレビューの素晴らしいところは、登場人物の心情をとても上手に読み取っているところです。
クリストファーという事故に遭いそうになった5歳の少年はとても無口な子なのですが、主人公・フランコに肩車をされたシーンを、”少年は、そんなことをされたのは生まれて初めてで、とてもうれしかったのではないか?”と読み取ったり、「そうかもしれない」と頷ける解釈ばかりのレビューで関心しました。

誰も幸せそうではないけれど、時は過ぎていく

皆が悲しげに心に秘めたものを抱いているようだけれど、どこか諦めたような、達観したような笑みを浮かべて物語が過ぎていく。

実際に私たちが生きる世界もそんなものではないだろうかと、ふと思うのです。

学校というところも、表向きの善意や微笑みの中に、ほの暗い意地悪な感情がうっすら見えてくることもあるし、何気ない日常がとてもミステリアスに感じられることがあります。

私は、心の闇を描いた作品に惹かれ、「この世は確かにそういうものだ」と思い、安心しているのかもしれません。

 

誰のせいでもない [DVD]
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