(放課後等)デイサービス、辞めてもいいよ(旧大口病院で患者さんが中毒で亡くなった事件)
2018/12/12
元看護師の久保木愛弓容疑者が、横浜市神奈川区の旧大口病院(現・横浜はじめ病院)に勤務中、点滴に消毒液を入れ、たくさんの患者さんが中毒で亡くなった事件がありました。
動機は、「人が次々と亡くなっていく終末期医療の現場と仕事がつらく感じた」「自分の勤務中、患者さんが亡くなって、それを家族に説明することが面倒で苦手に感じていた」というような供述をしています。
このような動機を知って、「人の命を奪うくらいなら、仕事を辞めればよいだけなのに」と思いました。
そして、人のお世話をする職業全体に対しても、「仕事を辞めることは誰にも責められるようなことではない」、と思ったのでした。
動機は本当にそれだけ?
退職すればよいだけのことなのに、わざわざ警察につかまるようなリスクをおかした久保木容疑者ですが、そこには彼女なりの自己主張の表れを感じました。
久保木容疑者は、「大人しい人」「目立たない人」といった印象を周囲の人にもたれているようです。
私が今まで出会ってきた人にも、大人しい人や口数の少ない人はいますが、その中には、「本心を言ったところでまわりの人はわかってなどくれないから、あえて話をしない」という雰囲気の人もいました。
なぜ「あえて話をしない人」とわかったかというと、一つ、印象的な出来事がありました。
当たり障りのない話題として、相手に兄弟姉妹がいるかを聞くことがあります。
ある女性にそれを聞いて、年の近い姉妹がいるそうなので、「年が近いと一緒に遊んだりできてよいですよね」とこれまた当たり障りのないことをこちらが言ったときに、その人は、「そうですね。」と私の目を見て応えました。
「年齢が近い女姉妹だと、一緒に買い物に行くのも楽しそうだし」と私が言うと、また「そうですね。」と言って頷きました。
次に会ったとき、何気ない会話として、またご家族の話を聞いたことがありました。
そのとき、「姉が家にはいなくて、海外に住んでいる」という話を聞き、さらに、「姉が住んでいる場所の名前がわからない」と言ったときには、私は少し驚きました。
そして、私の中で、一つの結論を下したのでした。
「この人は決して本音を話さない人なんだ」と。
もし一緒に買い物に行くような仲の良い姉妹だったら、普段からたまに連絡をとっていて、姉が海外のどこに住んでいるかぐらいは把握していると思うのです。
あまり遊んだりしない関係だったら、私だったら「姉妹でも性格が全く違うんで、大人になってからは、あまり遊んだりしないですね」とさらっと言うと思います。
大人になって、頻繁に連絡をとらないような関係の兄弟姉妹はいくらでもありそうだし、それ自体、ヘンなことでもないからです。
相手が自分からは決して人に話しかけない、大人しい感じの人だったので、こちらから話題を提供したのですが、ちょっとした話でも本心は話したくないんだということが、その後の様子からも見て取れました。
過去の負の経験の蓄積で、「人に本音なんて話しても仕方がない」「わかってなどもらえない」と思ってしまっているのか、そうなってしまった理由はわかりませんが、とにかく自分については何も語りたくないし、また、できれば人と関わりたくはないのだという人が、この世の中には一定数、いるのだと思います。
今回の事件のの久保木愛弓容疑者も、「あえて話をしない人」のような気がしています。
逮捕前、メディアからのインタビューに応えている様子が報道されていましたが、その様子を見る限りでは、緊張で人と話すのがつらい人という感じは全く受けないのです。
職場の元同僚や過去の同級生は、彼女のことを、「大人しい人」と話しているわけですが、対人恐怖症的な大人しさではなく、「人との距離を一定以上置くことを心に決めた人」なのではないかと私は勝手に憶測しているのでした。
看護師という職業に、何らかの興味があってなったのでしょうが、実際に職業を経験し、さらに人間嫌いが加速したのではないでしょうか。
だからといって、人の命を奪ってはいけませんよね。
看護や介護、福祉職を辞めるということ
ここからは私自身のことですが、私は自分の子どもが福祉のお世話になっており、それを世の中にお返しするようなつもりもあって、過去には放課後等デイサービス、現在は高齢者の通所介護の仕事についています。
逆にいえば、自分の子どもが福祉のお世話になっていなかったら、多分、このような職業は自分に向いていないと思って選ばなかったと思います。
自分自身を客観的に見ると、マニュアル的なコミュニケーション能力は身につけていますが、他人と長く一緒にいるとどっと疲れてしまうようなところがあります。
もちろんそういう素振りを見せないように気を付けて振る舞っていますが、一人でいる時間が最もイキイキしているような人間なのです。
そんな私が、人と密接に関わる職業についているわけですが、人間に慣れていっているというよりも、人対策のマニュアルをどんどん厚くしているだけで、「一人が一番」というのは今もこれからもずっと変わらないと思います。
看護や介護、福祉職全般にいえることですが、とても大変な仕事です。
辞めたいと思っている人はたくさんいると思うし、もう辞めてしまって、こういった仕事は二度としないと心に決めている人もいるでしょう。
「これは絶対に受け入れられない」というものに直面したときは、辞めてよいと思うのです。
例えば、私が福祉職として最初に勤務した放課後等デイサービスは、数々の精神的虐待を目にしたことが「受け入れられない」と思ったことです。
今、私が直面しているのは、職員の数が減って、サービスの質が低下し、利用者様の安全を完璧に見守ることができなくなっていることです。
人の命がかかわる職場だから、自分がきっかけで人の命を奪うようなことがあってはならないという思いがあり、辞めるべきかと心が揺れているところです。
多分、ある区切りの時期が来るまでは、私は今の仕事を辞めないような気もしていますが。
どんなに短くても経験は糧になる
1年でも1ヶ月でも、福祉の仕事に携わった経験は、その後の自分の生き方に影響し、特につらい経験ほど心を強くするので、些細なことでへこたれない自分になれるのではと思っています。
仕事というのは大なり小なりつらいことはあるものです。
その大なり小なりの中で、乗り越えたり、乗り越えられなかったりといろいろあるわけですが、そういった葛藤を重ねていくと、なんらかの心の成長があるように思います。
今の通所の仕事は3年目ですが、4年、5年と年月を重ねるのか、終わりが来る日が近くにあるのかはわかりませんが、自分を追い込まない程度に頑張ろうと思っています。
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